《Slice of Spice》つぶやき・趣味

《Slice of Spice》神の歌とフライアウェイ

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Namasteです!最近「バガヴァッドギータ」を読み始めました。
インドの聖典のひとつで、
ひとはちゃんと社会人的務めをしながらもマインドは境地へフライアウェイ可能☆彡というテーマです!
(読み終わったら訂正します。笑)

SNSだったり、パブリックな他人の外の情報ばかり見ていると
自分は会社勤めしてるだけで、人脈もアイデアも、発信する力も、そもそも自分で稼ぐ力なんて無ければ
しょーもない同僚や客の一言に腹を立てて何気なく日々をやり過ごしたり
全然頑張れてないじゃん。と思うことがよくあります。

そもそも全世界にブログを発信して売れてインフルエンサー、フリーランスになってばりばり稼いで…とか
そういうのを目指していたの?と問われたら、答えは「No」なのですが
パブリックにいる(または出る)ひとは皆、自分に無い物や素質ばかり持っていてキラキラしていて
素直に楽しく見て聞いて消費すればいいのに、自分と比べてしまうことが多い。
今の自分に自尊心が無いと言われれば、その通りであるが故。

ただ、ここは、やはりヨガ哲学に立ち返って
今自分の手元に有る物を有難く思うべきなのですよね。

大好きなインドにもう住めていないし、なかなか行けてもないけど
日本で家族がいて、住む場所があって、任せてもらえる仕事があって、少ないけど友達もいて
ちゃんと食べてるし、好きなだけ酒も飲めるし(?)
充分と言える人間的生活が出来ている。

人体は有限で魂は無常。魂には身体も場所も関係無い。
であれば、身体は日本にいようが、魂はインドでもありえる。
(↑バガヴァッドギータで早速学んだことを都合よく適応した)

自分って何が得意だったかなぁとか、ふと通勤電車で考えていた時に出てきたのが「学び」でした。
外国語大学時代、マクベス原書読解とかは大変で苦痛だったけど、没頭できたし、結局は期末試験では学年トップだったし
なんやかんや、少しでも興味があるものに関しては学ぶことが得意だったような気もする。
興味が一ミリも無いことは、どう頑張っても何も学べないのですがね。むしろ反抗する。絶対にやらない。笑

だから、少しでも興味があれば聖典を読んで何か活かすこともできるのかも?と思って
バガヴァッドギータを手に取ってみた次第です。ヨガ哲学も、巷に色々な情報が散らばっているけど、自分で原点から学んでみたい。
他にも、インドに居た時に興味があったヴィパッサナー瞑想についての解説書も買ってみた。
(インドに居た時にすら手を出していなかったのに、いきなり勢いつけすぎる悪い癖。苦笑)

いつまでこの興味や余裕が続くか不明ですが
たしかに学びや解釈の世界に入ると何もかも忘れていられるので一旦入り込んでみる。
そして、その外の日常世界では、今自分の手元にあるものに感謝して夜を過ごすのです。

余談ですが、私のインド人の友達で姓が「Bhagava」という子がいます。
彼女は、自身のルーツはカーストでは最上位のバラモンの中でもトップクラスというようなことを言っていましたが
の歌」と訳される「バガヴァッド(=神の)ギータ(=歌)」の「バガヴァッド」からきているのかと、ついこの前、理解しました。
あの子は神レベルだったんだ。どうりで自己肯定感が高くて楽しそうに生きている訳だ。(知らんけど…)

ちなみに、今読んでいる「バガヴァッド・ギータ」はこちらの訳本です!
ストーリーの分量としては意外と少ないのですが
多すぎる登場人物の長いカタカナの名前、化身により同一人物が分裂して増え続ける現象、そしてサンスクリット語に関わる注記に耐えられる方は、是非お試しあれ。。

ここ最近は毎日猛暑ですが、涼しい家で本を読んでまったり過ごすのも、悪くないですね。
インドを思い出すような猛暑日、マインドはインドにフライアウェイ☆彡(阿保か)