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«マインドフルネスblog» 期待に執着したら負け?インドで学んだ処世術

Namasteです!なまぱりのマサラ花子です。

今回のマインドフルネステーマは空しいような、悲しいようなタイトルですが
実はインドで学んだ処世術の中で、最も役立っている心得です。

なんか嫌なことばかりで生きづらいとか、腑に落ちないとか、悔しいとか、悲しいとか。
その現象の原因に、自身で持った期待に対して満たされるまで執着する癖が含まれているかもしれません。
わたしもそうでした。とはいえ今もまだ「やべっ期待してしまっている!」と気付くことも多いのですが。。
(日本に帰ってきて同じ民族の世界にいると何かしらの暗黙のなんちゃらを感じるもんで…)

初っ端から何にも期待をしないでいれば何にも執着しないし、困難も自分で回避できさえすれば満足するし。
とにかく、楽になれるように思います。
今回はインドで体感したそんな話を書いてみたいと思います。

そもそも期待と執着とは?

それぞれ、辞書によると以下のような定義になっています。
(言語学専攻で数億年ぶりの辞書登場^^;)

き‐たい【期待】
[名](スル)あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。「期待に添うよう努力する」「活躍を期待している」「期待薄」

小学館 デジタル大辞泉より

しゅう‐ちゃく〔シフ‐〕【執着】
[名](スル)《「しゅうじゃく」とも》一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。「金に執着する」「執着心」

小学館 デジタル大辞泉より

「この人はわたしに何か良いことをしてくれるはず」
「この会社はわたしにこんな見返りをくれるはず」
「この店の料理は全部美味しいはず」
「この人は分かってくれるはず」

これらは全部、自分で作った、そもそも正解かどうかわからない立派な期待です。
そして、この期待が叶わない時に「わかってくれ!!」とか「変えてやる!!」としがみついて労力を使うことが執着になります。

生活の中で、今しているこれこそが期待と執着か…!と気付ければ楽なことはないのですが
悟れてる人(ひろゆきとか?笑)以外は自然にやってしまっているのが普通なのではないかと思います。

期待と執着が大きいとどうなるか

思い通りにならないと耐えられない

気付かないままに期待と執着を大いに発揮していると、日々とにかく悶々とします。
何故こんなに満たされないの?思い通りにならないことが多すぎる!とにかくなんかいらいらする!
そんな思いに溢れてしまっていることが多いと、恐らく期待と執着にやられています。

わたしは、これまで恋愛と会社に対して期待と執着がすごかったので(さらっと爆弾発言w)
恋愛では良い関係になりつつあるひとに対してその先に進むこととか、こまめな連絡とか
会社ではやっている仕事のクオリティに対して給与で見返りがほしいとか
そんな期待が数え切れないほどあって、叶わない時には耐えられなくて騒ぎ倒していました(ごめんなさい)

当時はまだ20代半ばで若くてエネルギーにも満ち溢れていたので騒ぐしかなかったようにも思えますが
騒いだところで結局叶わないものが大半だし、叶えても誰かしらを傷つけるし、一番に何より自分が疲れて傷つくし、良いことは一切無かったのが現状です。
(給与は上げてもらえて、それはそれで良かったですけど。。)

ネガティブ思考のループに陥る

先述の、期待が叶わないと耐えられず騒ぎ立てる現象の中で起きるのが「ネガティブ思考が止まらなくなる」ということ。

期待が満たされないまま、不満に執着していると最終的に自分が疲れて傷つく、と書きましたが
とにかく誰か(または何か)を恨み続けます。恨み続け、さらに「わたしの何が悪いの?」と思い続けます。
だけど、事の始まりは勝手に期待していた自分自身でしかないのにそれに気付けないので、答えのない疑心暗鬼状態が一生続いてしまいます。
ただただつらいです。常に精神的になにかと冷戦状態で一触即発。
意中のひとからの既読スルーが連続でもしたら大爆発……(しかも大抵そういうことは続くもんで)

日常生活で起こる些細なことにイライラして、落ち込んでしまうネガティブ思考のループにいると思える節があれば
「こうあるべき」「こうなるはず」という期待とそれらに執着している自分がいるのかもしれません。

インドで期待と執着を捨てたワケ

期待のせいで疲れ果ててしまった

先述の通り、私自身がインド生活の初期で多大なる期待と執着を繰り返していました。

大手企業を辞めてまで移住してきたインドの生活は楽しいものであるべきと思っていたし
インド人と共に働いて出したパフォーマンスは誰にも負けないと思っていたし
がんばっている自分は誰にも認められるべきだと思っていたし
チャイはどの店でも美味しいはずだし、インド政府関係の申請はしっかり処理されるべきだし…etc.

でも、インドではまず生活の基盤となる申請から上手くいかなかったんです。
最初の給与だって銀行開設まで3ヵ月間は入らない。
そしてレストランではどんなに高級感があるところでも、オーダーが間違っているといったミスは日常茶飯事。
そもそも会社の給与はそんなにすぐ上がるわけはないし、ひとの好き嫌いは他人のことなので自分じゃ操作できないし…

日本で生活をしていると当たり前に思えてることをインドにも当てはめていたし
それ以上にあこがれのインドでの生活で期待が高まる一方でした。

でも、混沌の国インドで期待が叶うことは、ほとんどありませんでした。
人間関係もそう、日本で関わるのとは少し違うひと達と関わることが大半だったので
日本での人間関係の当たり前もなかなかに通じないことが多かったのです。

そんなことを繰り返すうちに、なんだか、ただただ疲れてきてしまったのです。
「あぁ、騒いでもどうせ叶わないし分かってもらえないんだ…」と悟らされた出来事も募って、「そもそも、すべてout of my controlだ」と気付いたのがきっかけでした。
一旦落ち着いてすべてを俯瞰してみよう、と思った瞬間からマインド面の転換が始まりました。
(この状態になれるまで苦節?27年…)

思考回路が合理的になって生きやすくなった

俯瞰をするようになってから、些細なことでも一旦感情が沸き上がる前に立ち止まるようになりました。

小さなことだと、インドでカプチーノを頼んだのに激甘チャイが来たときに一瞬むかつくのですが(そんなのは日常茶飯事)
絶対カプチーノが来ると思っていたのも自分の期待だし、実はチャイでも良かったんではないか?
逆にチャイの方がこの店では美味しいのかもだし、コーヒーよりカフェイン少ないかもだし(確証は無しw)
中毒回避!ラッキー!とまで思うようになりました。
レストランという料理のプロフェッショナル施設では間違えないようにすべきだと思うので、場所によっては変えてもらいますけどね。。

そもそも不都合だなあと思った事象は全部自分自身の期待が生んだものなんだ、と思えれば
あとは「じゃあ今の状況をacceptする為に、どう良く解釈しよう?」と自らストレスを回避できるので、だいぶ生きやすくなったように感じています。
とはいえ、今でも一瞬感情がぐらっと激高しかけるときに深呼吸して自分を止めることはよくあります・・・

このような思考回路が芽生え始めてから、合理的に考えて正しいと思えることに真っすぐになるようになってきたので
感情論が溢れる日系企業とは毛色の違う外資企業に行ってみたいなと思い、帰国後に外資企業に入るきっかけにもなりました。

余談にはなりますが、外資に入ったけど、やはりすべてが合理的な訳ではなかったし
逆に個人間・部署間の”合理”なるものがぶつかるので、社内政治が日系と同じく相当大変だということに気付けましたw
居心地の良い会社って、どこにあるんでしょうw
とはいえ、それも自分の期待に侵されて居心地が悪くなっていることも多いので一生何とも言えない。社会的生き物はつらいよ。。

まとめ 過度な期待と執着は何の役にも立たない

期待と執着は悪である!というお話でしたが
期待ができることってなんやかんや幸せなことだったりします。期待の実現を待っているときって、こころがるんるんですし。
だけど、過度な期待と実現への執着は自分を苦しめてしまうので上手く付き合いましょうというのが今回のポイントです。

インドで叶わない期待や変わらない執着の多さに悩んだからこそ
今の日本の生活でも楽になった部分がそれなりにあります。しっかりしている日本ですら期待をするのも結構しんどい。笑
何にも過剰に期待しないで、自分で自分を可愛がってテンションを上げていきたいものです。

また違ったインド処世術「自分で自分の機嫌を取る」というお話にも続きます!
To be continued…

それでは皆さん、Phil milenge!!

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